武蔵野手打ちうどんの歴史

武蔵野手打ちうどん保存普及会は、小平出身の加藤先生が幼少期に食べた母親の作るうどんを復元したく、昭和63年1月にこの会を設立しました。

武蔵野うどんは、古くから武蔵野台地で伝えられたうどんです。「武蔵野うどん」という名前はなく、単に手打ちうどんとして受け継がれてきたものです。加藤先生が武蔵野台地で取れた小麦で作ったうどんを「武蔵野手打ちうどん」と命名しました。武蔵野台地とは埼玉県の荒川、南は多摩川、西は入間川に囲まれた、水に乏しい台地です。

この地域の農家では、冠婚葬祭などすべて家庭で執り行っていました。その際、ご馳走をふるまった後、うどんを出す風習がありました。

「糧うどん」はうどんに糧を添えたものです。糧とは米偏に量と書きます。当時貴重なうどんだけを食べておなかを満たすわけにはいかないので、糧として野菜を添えて食べていました。

ただ、水に乏しい武蔵野台地では米はあまり取れないため、米の代わりに小麦を植え、小麦から作ったうどんを主に食べていましたので、うどんに糧を添えるということで「糧うどん」と言われています。糧は旬の野菜を茹でて添えたものです。